森と里のつながるマルシェ

土に根ざした暮らしを見つめ直すオーガニックマルシェです(開催場所:栃木県茂木町)

【森里インタビュー】自然に生きる~目に見える世界は自分の心の投影~【2022冬編⑤】

森里インタビュー企画2022冬編第5弾。今回は上管又地区で有機栽培を行なっている沓掛栄一(くつかけえいいち)さんにお話を伺いました。今回は前回のインタビューの際に案内してくださった畑とはまた別の、山の中にある畑へ。車に乗り、傾斜のある砂利道・山道をぐんぐん進みます。思わず、車のギアを【L】へ。なかなか使わない【L】ギアと細い山道にドキドキしながら沓掛さんの軽トラに付いて行きます。道がぱぁっと開けた先には広い土地が。車を止め、緊張した山道運転に一息つき...インタビュースタートです!!

今回は沓掛さんご自身の価値観に注目しインタビューを行いました。沓掛さんの心の中・目には何が映っているのでしょうか。

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沓掛栄一(くつかけえいいち)さん 
子どもの頃の2つの夢

 沓掛さんは子どもの頃、両極端な2つの夢があったといいます。1つ目の夢は「お金持ちになり、綺麗なお嫁さんをもらって、偉い人になること」です。2つ目の夢は「科学技術などの文明から離れたところにいたい」という思いです。自給自足願望があり「電気・ガス・水道に頼らず、山のなかで自然と一緒に暮らしていきたい」という、1つ目の夢とは相反する両極端な夢がありました。高校卒業後は1つ目の夢を叶えるために大学生と社会人の約15年間を東京で過ごし、サラリーマンとして働いていました。しかし、東京で歯車として働いていることに疑問を感じ、幼少期の頃のもう1本の夢に舵を切り替えようと判断し、15年前に茂木町で就農しました。
 また子どもの頃から、山頂からの風景や日の出見たりする際に感じるような、神の業としか思えない神秘体験を頻繁に感じていたといいます。中学生の頃にクラシックや西洋絵画に興味を持ち、電流を浴びるような、稲妻に打たれる感覚を体験しました。「世の中には目の前に見えていることだけではなくて、いろんな世界があるんだ」と考えるようになったそうです。

ズボラにやっています

沓掛さんはご自身のことを「宗教・哲学中毒」と仰います。ヘッドホンで宗教書・哲学書の朗読を聞きながら、農作業をしているそうです。『自分にとっては宗教書や哲学書を聞くことがメインで農作業は宗教修行みたいな感じ。』しかし固定したものが大嫌いで特定の信仰があるわけではありません。『単一性なものではなく多様性があるものが好き。風景でいうと、殺風景なものではなくて、山があり谷があり川がある多様な環境。』その考えは沓掛さんが有機農業を選んだ理由にも関連しています。『慣行農法は畑一面に同じ作物しかなくて、単一的で、生き物の住んでいるような雰囲気が感じられない。それが、有機農業の場合だったら少量多品目でいろんな種類の作物があって、住んでいる生物も多様になる。そういう雑多な感じが自分には合っている。』
多様性を大事にしている沓掛さんだから選んだ有機栽培。農法にも沓掛さんの個性が溢れます。『有機農業のなかにもいろんな農法があるけど、自分の性格や資質には向かなかった。』『行き着いたのは1番面倒くさくない方法。1番簡単な方法が自分のスタイル。』案内してもらった畑にはタマネギ・越冬の春キャベツ・ほうれん草・サラダほうれん草・ルッコラなどの多様な野菜が栽培されています。しかしよく見ると、畝間(うねま)に小麦が。『普通の人はこんな所に麦なんて播かない。なぜこんなところに播いているかというと、草むしりが面倒くさいから播いているんです。小麦を播いておくと、草が生えてこなくなるので手間が省ける。』『まあズボラに考えてやっています。』この小麦を植える方法はこんにゃく農家ではスタンダード。こんにゃく畑の畝間に麦を播くと病気になりにくいのです。沓掛さんはこんにゃく農家の方法を独自で真似をして始めました。ズボラだからこその、固定概念にとらわれない柔軟な発想が活きますね!!

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畝間に播いた小麦の芽
流れるままに、あるがままに

農作業をしながら宗教書や哲学書を聞き、色々調べたところ沓掛さんは「ノンデュアリティという考え方に出会いました。ノンは「~でない」、デュアルが「2つの」なのでノンデュアリティは「2つでない」という意味になります。私達は、世の中を“私とあなた”や“高い低い”と分割して考えがちですが、ノンデュアリティの考え方では“全てが私であって、私が全て”というように分け隔てがなくなっていく。全てがつながっていくことになります。起こることすべてが必然。自分がやることは全て、あらゆる事が必然的に過不足無く起こっているということになります。そのため、やる気がなくなったらそれも必然。やる気がおこったらそれも必然。波が沈もうが昇ろうが誰もコントロールできないもので、それを受け入れるしか仕方が無い。滅ぶのも、新しく生まれるのも必然。自分もそのサイクルの中のひとつである。沓掛さんの中にはそういう考えがあるようです。流れるままに、あるがままに。

沓掛さんの心(せかい)~ノンデュアリティ唯識思想~

また、ノンデュアリティとの関連で、東洋には同じことを指し示す概念として「縁起思想」や「唯識(ゆいしき)思想」があります。そのため、「縁起」や「唯識思想」という考え方にも納得しているようです。縁起や唯識思想とは、「本来、全ては関連で成り立っているために実態がなく、色即是空(しきそくぜくう)の空が物事の本質である」という考え方です。仏教ではこの空と不即不離の阿頼耶(あらや)識(しき)(個人存在の根本にある通常認識されることのない識)という万物を生み出すポテンシャルが、人間の深層心理に内在されていると考えます。そのため「世界の存在とは、人間が阿頼耶(あらや)識(しき)に内在するあらゆる可能性から自我を通して、一部を抜き出して表現した極一部の心象風景」という認識になり「現実として目に見えるものは自我というレンズを通した心の表層の投影でしかない」ということになります。つまり、現実とされているものは自我が描いた心の極一部でしかありません。しかし、心のなかには空として全てのポテンシャルが内包されているので、自我の個別幻想からその内包に自己を全てを明け渡せば、デュアルという幻想がノンデュアルにシフトする。つまり“自分は全て、全ては自分”ということになるのです。
今日、沓掛さんの目に見えている茂木の山・畑・景色は沓掛さんの心の中にあるもの。沓掛さんの工夫ある畑、美味しい有機野菜、農作業を通してつくる多様性、優しい人のつながりは、すべて沓掛さんの心のなかの投影。

なんだか少し難しい話ですが、すてきな心(せかい)。

起こることすべては必然だと考えると、なんだか少し優しくなれるような気がします。仕方の無い、自分ではどうしようもできないことってたくさんありますよね。そんな時の気持ちのクッションになるような考え方ですね。
私が森里マルシェに関わったことも必然的なのかも...。このまま身を任せて。どんな未来とつながっているのかな??(構成・写真:鈴木)



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