森と里のつながるマルシェ

土に根ざした暮らしを見つめ直すオーガニックマルシェです(開催場所:栃木県茂木町)

【森里インタビュー】食べ物が育てられる里山の環境と知恵を次の世代につなぐ -足るを知り、自然に沿った生き方を-【2022冬編⑥中編】

森里インタビュー企画2022冬編第6弾中編。
今回中編となる月nocoさんのインタビュー記事は「君島紀子(きみじまのりこ)さん」についてです!
前回の佳弘さんの記事と同様に、今回は紀子さんの記憶を幼少期まで遡り、幼少期の性格や今の活動をするきっかけ、過去の思い出深いエピソードなどから、紀子さんの過去と今をつなぐインタビューと記事となっております!
この記事を通して、少しでも紀子さんのことを知っていただければなと思います!
では早速、幼少期の紀子さんから覗いていきましょう〜👀

<中編>

人見知りの殻を破ろうと奮闘した幼少期の紀子さん
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君島紀子(きみじまのりこ)さん

東京都練馬区出身の紀子さん。東京といっても比較的田舎だった練馬で、小学校の頃は近くの公園で友達とザリガニ釣りをしたり、家の塀を登ったりして遊んでいたと言います。(よくおばあちゃんに塀を登って怒られたとか…笑)
佳弘さんの幼少期と対照的ですごくアクティブな紀子さん。
中学生の時には、人見知りだった自分の性格・殻を破るべく、自転車で全国を放浪する小学生「自転車少年」に憧れて、友達と、もしくは1人で、自転車でかなり遠くの方まで漕いで行った経験が何度もあるそうです。
学校ではあまり目立たない生徒だったそうで、先生からは「そういう一面もあるのね」と言われたそうです(苦笑)。でもあんまり目立ちたくはなかったとか…。(複雑!笑)

子供の頃の夢

そんな紀子さんの子供の頃の夢はパン屋さんでした。お母さんがパンを焼くのが好きだったそうで、それでパン屋さんになりたいと思っていたそうです。また、高校生の時、友達にケーキをあげたら、小さいケーキだったのにもかかわらず家族全員で分け合って食べて、すごく喜んでくれたことがきっかけで「ケーキ屋さんになって人を喜ばせてあげたい」と思うようになりました。

フランスに通い詰めた短大時代

高校卒業後、製菓学校に行きたかった紀子さんでしたが、お母さんとの相談の結果、短大の栄養課に進学することになりました。短大では栄養の勉強をしながら、休みごとにお金を貯めて、フランスの田舎菓子を見るために、何度もフランスに一人旅をしました。
実際にフランスに足を運んでみると、フランスの風土や田舎の雰囲気がすごく良くて、少し学んだフランス語をカタコトでも喋ると、現地のおばちゃんたちが喜んでくれて、親切にしてくれたそうです。その温かい田舎の雰囲気がとてもよかったと言います。
『都会だといそいそ忙しそうに歩いているけど、田舎暮らしは忙しいけど、人の心に余裕があるというか…。』
田舎菓子を見に行ったつもりが、フランスの田舎の雰囲気の良さに感化され、田舎の良さを感じるきっかけになりました。
短大卒業後、紀子さんは夜間の製菓学校に通いながら、ケーキ屋さんでアルバイトをしました。そのお菓子屋さんはとても激務で、一番忙しい時は朝の5時から夜中の3時まで働いているようなほど忙しかったそうです。そこで10年ほど働き、販売と製造を経験します。

東日本大震災で感じた「田舎の豊かさ」

『震災の時、東京だとお水や食糧を買い込んだりしていて、必要なところに届かなかった。これは都会の人が悪いのではなく、都会の環境がそうさせていると感じた。それに比べて、震災のボランティアで出会った仙台のおじさんは、自分で作ったものを、自分が大変な状況でありながらも分け与えているという「心のゆとり」があって、田舎の方がお金では買えない「価値観」や「豊かさ」があると感じた。』
紀子さんは震災とボランティア活動を通して、お金やモノの豊かさでは測れない田舎の豊かさを感じたと言います。
先ほど出てきた仙台のおじさんは、震災が起きて大変だったはずの5月くらいに、「お米しかないから」と言ってお米を炊いてボランティアに出してくれたと言います。紀子さんにとってこの出来事はすごく印象的でした。
『食べ物作れるってすごいなって、なんか自分が大変な時にひとに分け与えられるだけの心の余裕があるっていうのはほんと素晴らしいなと思って、自分もそうなりたいなと思った。』
食べ物を作ることができること、そして食べ物を分け与えることのできる田舎の人の心のゆとりに感銘を受けました。

田舎暮らしの第一歩 ふたりの出会い

震災の後、ケーキ屋さんを辞めようと次の働き先を探していた紀子さんは、デパートでケーキを販売していた時期がありました。その時、偶然にもそこへ何年も前にケーキ屋さんを辞めていた先輩が通りかかります。そしてその先輩にマクロビオティック*1のカフェで働かないかと声をかけられ、そのご縁でそのカフェで働くことに。以前より「自然派」に興味があった紀子さんにはぴったりな場所でした。
そしてその先輩は以後、紀子さんに大きな影響を与えるキーパーソンとなります。
実は先ほどお話した震災のボランティアやチャリティーイベントへの参加したのも、その先輩が誘ってくれたことがきっかけだったそうです。

その後、震災を機に「東京じゃないな」と感じていた紀子さんは、これまでずっと暮らしていた東京を離れることを決意します。まず、田舎暮らしの第一歩を踏むため、長野の安曇野にあったシャロムヒュッテという自給自足的な宿で働きます。その宿も実はその先輩から教えてもらった場所なんだそう!文字通りのキーパーソン!
その後、知り合いのご縁で那須アワーズダイニングというレストランで働くこととなり、その時知り合いづてに知っていた福島の穀物菜食のお店、銀河のほとりで佳弘さんと出会います。そこでおふたりは意気投合し、今の素敵なご関係に至ります。



中編は以上となります!
今回の記事では、紀子さんが佳弘さんと出会って、月nocoが誕生する前までのお話をまとめさせていただきました!紀子さんのお話どれも興味深かったですね〜
その中でも幼少期の紀子さんが人見知りの殻を破ろうと頑張ったお話、印象深かったです。
大人になっても、目を背けてしまったり、改善を諦めたりしてしまいがちな自分の弱い部分を素直に受け入れて、それをなんとか克服しようと努力するその素直さと頑張る姿勢に感動しました!

そして紀子さんがフランス一人旅や東日本大震災のボランティア活動で感じた
・お金やモノの豊かさでは決して計ることのできない田舎の「心の豊かさ」
・自分の生活がどんなに大変であっても、周りのひとに食べ物や気持ちをお裾分けできる「心のゆとり」
・どんな時でも、人々の生活を支えることができる「食べ物を作る暮らし」の素晴らしさ
紀子さんのお話を聞いて、食べ物を作ることができるってすごいことなんだなと、農が生活と強く結びついた暮らしって素晴らしいなと強く感じました。私もそういう暮らしを目指したい!
また、同時に「豊かさとはなにか」を今一度考えさせられました。

お金をいっぱい持っていることが豊かなのか?モノをたくさん持っている状態を豊かというのか?便利で効率化したムダのない社会は豊かな社会といえるのか?豊かさって一体何だろう…。みなさんにとっての「豊かさ」って何ですか?(構成:西山ゼミ3年 林)

写真:西山ゼミ4年山田



次回は後編「月noco誕生から今に至るまで。そして今後の更なる展望」についてです!
月noco誕生とその名前に秘められたふたりの想い、そしてふたりが目指すこれから暮らしとは…!今回月nocoさんが出品されるお品物についての情報もあります!乞うご期待!


<参考資料>
・「マクロビオティック」について
https://chayam.co.jp/macrobiotic/
・「自然栽培」について
https://www.bayfm.co.jp/flint/20090503.html



★オンラインマルシェ開催期間:2022/1/29~2022/2/13・発送:2022/2/18
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*1:雑穀や野菜、海藻などを中心とする日本の伝統食をベースとした食事を摂ることにより、自然と調和をとりながら、健康な暮らしを実現する考え方。